アーカイブのことは他ページで綴っていますが、小川原自身の経歴や、なぜアーカイブ創設に至ったのか、気になるのではないでしょうか?SESの会社を立ち上げたからといって、小川原がこれまでエンジニアの仕事しかしてこなかったスペシャリスト、というわけではありません。実はまったく業種が異なる宝石店に勤めていたこともあります。このページではそんな小川原のこれまでの経緯と、社長自身のこれからについて綴ります。

 小川原は文系の経済学部卒(数学は得意)で、新卒入社は宝石店です。元々宝石が好きだったことと、接客業をやりたいという理由から宝石店で勤務して接客・販売をしていました。小川原は販売力がある人は他にいくらでもいるし、入社したばかりということもあり皆がやりたがらない事務作業を積極的に引き受けていてあまり販売には携われなかったものの、ある時ヘルプで販売を手伝いにいったお店で接客したら売り上げ全店1位を記録し、入社2年目で店長になりました。そんな折に、学生の時にアルバイトをしていた出版社の社長から、戻ってこないかと誘われ、役員として出版社の勤務するに至りました。アルバイト時代に仕事が出来すぎて、いろんな仕事を請け負っていたら社長の次に会社に詳しい人になり、社長としては欲しい人材だったため、社員をすっ飛ばして役員に就任。社長のそばで「経営とは」を勉強しました。しかし、その出版社が倒産し、出版社の前にプログラミングのアルバイトをしていたこともあったのと、これからの時代はインターネットを使ってビジネスをしていく世の中になる、と思い29歳の時に再度システム開発系の世界に足を踏み入れました。
 30人くらいの会社で離職率が3割もある会社でした。小川原には1年半後には部下もでき、その後も部下は増え続けたのですが、小川原の部下だけ誰も辞めませんでした。それに気づいた人事が、エンジニア全員を小川原の下に置き、30人の部下を抱えることになったのです。すると、離職率3割の会社がその1年間は誰もやめない、離職率0%を達成しました。しかし、ある部下が異動先で深夜MTG等が続き体調を崩してしまったことをきっかけに、社員のための働き方に変えたほうが良いという小川原と、そんなことができるわけない、頑張って働き続ければ良いという社長の間で喧嘩が勃発し、その部下が辞めたことで、社長と折りが合わないと判断した小川原は、自分が社員のための会社を作ってやると決意し、その会社を退職した翌日にアーカイブを立ち上げました。

 立ち上げ当初は、社員のための会社を掲げたアーカイブには100人くらいすぐ応募が来るだろうと思っていましたが、現実はそうはいかず、募集から奔走するに至りました。ある求人広告の営業マンの営業電話を機に転機が訪れ、当時は「社員のために」を掲げている会社がなかった物珍しさもあり、募集が集まるようになりました。当初描いていた、社員のためにある会社、社員がやめない会社作りが叶ったと小川原は語っています。アーカイブの社員はどの社員も優秀で7~8割が引き抜きにあっていますが、社員がアーカイブに居続けてくれる所以はこのアーカイブの企業理念に共感し、給与や働き方に満足しているからでしょう。

 2025年現在で社員は23人になりました。32人まで社員を増やすことが今の小川原の目標です。なぜ32人までなのか?それは、社員のための会社作りを掲げる小川原が、社員の誕生日並びに社員の配偶者の名前と誕生日を覚えられる限界がそこだと感じているからです。社員やその家族を覚えられない社長は、社員を思う社長とは言えない、というポリシーがあり、社員だけではなく家族までも大事にしたいと思うからこそなのです。
 小川原は次期社長への引継ぎ期間を含めて70歳までアーカイブの社長で居続ける覚悟でいます。企業は30年といわれているため、小川原の30歳程年下でアーカイブの企業理念をよく理解してくれる人に次はバトンタッチをしたいと考えています。少なくともあと15年は小川原はこのアーカイブの社長としてあり続けますが、完全に社長を引退するその時までできる限り社員ファーストを実現し続けます。